2016年01月09日

こころの音196

人気のあるマンガ、
あるいはアニメに、
「進撃(しんげき)の巨人」
というのがあります。

その「進撃の巨人」の中で、
「女型(めがた)の巨人」というのが
出てきます。

女型の巨人は、
強力な敵(てき)で、
最終的に、この女型の巨人と
主人公であるエレンは、
戦うことになるのだけれど、
その女型の巨人の正体が、
軍の訓練兵として、
3年間、同じ釜の飯(かまのめし)を
食べた仲間である、
アニであることを知って、
エレンは戦うことができない。

エレンの巨人化の能力を
使うためには、
確固(かっこ)たる目的が必要で、
目的がはっきりしないと、
エレンは巨人化の能力を
使うことができない。

敵であるアニが、
訓練兵時代の仲間であったために、
それがブレーキとなって、
どうしても巨人化することができない。

最終的には、他の仲間の
叱咤激励(しったげきれい)によって、
エレンは巨人化して、
アニと戦うが、
エレンが躊躇(ちゅうちょ)し
巨人化できなかったのも、
ごもっともだとも思う。


何かの明確な目的がないと、
どんなにスゴイ力(ちから)も
使うことができない・・・。

明確な目的を持って、
本当にそうしようと思わないかぎり、
その力を使うことができない。


確かにそれは、うなずける。


目的もなく、本当にも、
そう、思っていなかったら、
その力が出てくるとは
思われないからです。

また、自分が、
目的のもと、
本当にそうしようと思うから、
その力を発揮していくことができる。


これは、アニメやマンガの
中だけの話しではなくて、
現実の中でも、
そうだと思う。


人は、何かの目的を持って、
ほんとうにそうしようと思わなかったら、
その力を発揮(はっき)することができない。

目的に目覚(めざ)め、
ほんとにそうしようと思うから、
そのように行動し、
それを成し遂(と)げていく。

はっきりとした目的意識をもって、
ほんとうにやろうと思う時、
そのための、
さまざまな知恵や能力を発揮し、
自分が実現したいことを
成(な)し遂げていく。


それが、人間というものだと思う。


けれど、
それが難(むずか)しいのも、
現実だと思う。

だから、幸せになりたいのに、
なかなかなれないことも、
多々(たた)あると思う。

また、
不幸に沈(しず)んでいってしまう人々も、
多くいる・・。

やはり、幸せになっていくためには、
明確な目的意識と、
それを開花させていくための
『方途(ほうと)』が、
必要になってくると思う。

その明確な目的意識と、
それを実現していくための
方法と行動が噛(か)み合っ時、
人は幸せになっていけるのではないか・・!
と思う。


実は、その、
幸せに対する明確な目的意識と、
それを実現していく究極(きゅうきょく)の方法が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

創価学会が実践(じっせん)する、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰は、
自分の中に、
幸せに対する最高の目的意識を
もたせてくれる。

目的意識を持つというよりも、
南無妙法蓮華経をとなえていると、
自分の中から、
幸せになろうとする、
「最高の意識(いしき)」が、
自然に湧(わ)き上がってくる。

やがて自分の中から
湧き上がってきた
「幸せに対する最高の意識」は、
さまざまな知恵や勇気、
行動となって、
その人を動かし、
結果として、
その人を幸せにしていってしまう。


南無妙法蓮華経をとなえることは、
自分の中から、
幸せに対する最高の意識を
目覚(めざ)めさせ、
幸せに対する最高の目的、
また、幸せに対する最高の生命力、
最高の勇気や知恵をもたらし、
それは、自分の中から、
さまざまな力(ちから)、
能力や可能性を
発揮(はっき)することになっていき、
そうなった時、
おのずから、
その人は、
幸せになっていくことができる。


それが、
創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰』
だということです。

また、南無妙法蓮華経を
となえることの可能性と力(ちから)は、
無限大なので、
南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、
自分だけでなく、まわりの人々、
環境や世界からも、
幸せをもたらす、
さまざまな可能性を引き出し、
それは、結局(けっきょく)、
自分のいる世界、
環境を幸せに変えていくことになる。


ゆえに、勝利していける。
幸せになっていける。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

進撃の巨人の中の
エレンのように、
人は人生において、
戦うか戦わないかの、
瀬戸際(せとぎわ)に立たされる時が、
ある・・・!!

その時に、勝つか負けるかは、
その人の中にある、
『目的意識』にかかっている。

その『目的意識』が、
真(しん)に正しく、
強靱(きょうじん)なものであるならば、
その人は、どんな瀬戸際(せとぎわ)に
立たされたも、
戦うことができる。

そして、勝つこてができるだろう。

その最も正しく、
最も強靱(きょうじん)な
目的意識を持つことができるのが、
この創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、言えます。

幸せと平和に対する、
これ以上素晴らしく、
これ以上強靱な目的意識は、
ありません!!

また、幸せと平和に対する、
これ以上の希望であり、
エネルギーもありません。

幸せと平和に対する、
無限(むげん)の力(ちから)となるもの!

それが、
創価学会の、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。


だから、創価学会の人たちは、
幸せになっていけるんです・・!

また、創価学会の信仰と、
他の信仰との違(ちが)いは、
ここにあります!!!

どんな苦難(くなん)の中でも、
どんな絶対絶命(ぜったいぜつめい)
の時であろうとも、
平和と幸福に対する、
最高の目的意識をもって、
立ち上がることができる。

エレンが立ち上がったように・・!

そして、勝利していける!!!


・・・
重要なことは、
創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる』
という仏法の実践が、
自分の中から、
幸せに対する最高の目的意識を、
『現実に、湧(わ)き上がらせる!!』
ということです。

そして、それにともない、
幸せをもたらすための
最高の生命力、
最高の勇気、
最高の知恵が、
実際に湧(わ)き上がってくる!
ということです。


それは結局、
自分の中から、
さまざまな可能性を
発揮していくことにつながり、
やがて、悩みの解決や、
夢や希望の実現など、
さまざまなことを可能にし、
その人に
勝利と幸せをもたらしてくれる。


あたかもそれは、
「進撃の巨人」の中で、
エレンが、明確な目的を持った時、
巨人化という、とてつもない力を
発揮できたように、
大きな大きな可能性と力を、
発揮してくれる・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
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2015年10月08日

こころの音195

以前、ネコの視点(してん)から、
人間の世の中のことを語った歌詞(かし)の、
歌を聴(き)いたことがあります。

定(さだ)かでありませんが、
その歌によると、

人間界は大変だ・・・。

出世とか、ノルマとか、
人付き合いや、ひいては権力争い。

人間界は大変だ・・・。

化粧(けしょう)とか、エステとか、
上司や彼氏、
結婚とか、離婚とか。

人間界は大変だ・・・。

出会いとか、別れとか、
からまって、解(と)けない人間模様(もよう)。



確かに・・・、ネコから見れば、
人間の世界は大変かもしれない。

というか、人間から見ても、
人間の世界は大変です。

さまざまな思惑(おもわく)が、
ぶつかり合い、
複雑(ふくざつ)極(きわ)まりない
状況をつくっている。

自分がピンチに陥(おちい)ることもある。
罠(わな)にはめられたように、
苦境(くきょう)におちいることもある。


創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が、言っています。

『時には、

「どうして自分ばかりが・・・・・」

とグチをこぼしたくなることも
あるかもしれない。

しかし、煩(わずら)わしい試練(しれん)と、
祈り戦うからこそ、
仏(ほとけ)の力が出せる。
泥(どろ)が深ければ深いほど、
やがて美事(みごと)な幸福勝利の
大輪(だいりん)を咲(さ)かせていけるのが、
『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』
の妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)
である。』


『如蓮華在水(にょれんげざいすい)』
というのが難(むずか)しいですが、
蓮(はす)の花が、
泥沼(どろぬま)の水の上に、
美しい花を咲かせるように、
苦悩・渦巻(うずま)く、
どんな泥沼のような
環境(かんきょう)や人生からも、
美しい、勝利と幸せの花を
咲かせることができる!
との譬(たと)えだと思います。



人の人生は、さまざまだ。

けれど確かに、
美しく澄(す)んだ水の上に、
優雅(ゆうが)に
浮(う)かんでいられるような人など、
ほとんどいないと思う。

また、表面的には、
優雅に見えたとしても、
内面的には、
どろどろの苦悩(くのう)と
戦っているような場合も多いと思う。

どっちにしろ、
そんじょそこらのことでは、
にっちもさっちもいかないのが、
人生だと思う。


皆、現実と人生の、
さまざまな苦難や苦悩、
現実と理想(りそう)のギャップに悩み、
その中で戦っていると思う。

そして、その中で、
泥沼に咲く蓮の花(はすのはな)のように、
花を咲かせ、
光り輝(かがや)いていかなければならない。


それが多くの人の人生だと、
言えると思います。


池田先生が言うように、
『どうして、自分ばかりが・・・』
と思いたくなるようなこともあるかもしれない。
グチをこぼしたくなることも
あるかもしれない。

けれど、それでは、花は咲かせていけない。

その泥沼の上に、
美しい花を咲かせなければならない。


実は、そのための、
絶対の力(ちから)、
無限の力、
どんな苦難も幸せに変えていける力が、
創価学会(そうかがっかい)の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


泥(どろ)が深ければ深いほど、
美しい花を咲かせていける。

それが、究極(きゅうきょく)の幸せの力、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんだと思う。


世の中が悪い。
環境(かんきょう)が悪い。
あの人が悪い・・。

確かにそうなのかもしれないけれど、
そう思っても、
どうにもなっていかない・・。

その世の中、
その厳(きび)しい環境の中でも、
幸せになっていかなければならない。

勝っていかなければならない。

まさに、泥沼(どろぬま)のような
環境や状況(じょうきょう)であっても、
それでも、
花を咲かせなければならない。

それは確かに、
至難の技(しなんのわざ)であり、
どうにも手がつけられない
難問でもあると思う。


いったい、どうしたらいいのか?


理屈(りくつ)で、ああだ、こうだ
言うことはできる。
けれど、
はたして、
それができるのか?

蜘蛛(くも)の網(あみ)のように
絡(から)まった
人間模様(にんげんもよう)や
さまざまな状況・・・。

それを、プラスの方向、
幸せの方向、
勝利の方向にもっていくことが、
どれだけ困難であり、
奇跡(きせき)といっていいくらい
難(むずか)しいことであることは
わかっている。

あらゆるものが、
微妙(びみょう)に絡(から)み合い、
複雑極(ふくざつきわ)まりない
状況を作っている。

その中で、
「あみだくじ」のように道をたどり、
幸せをつかんでいかなければならない・・・。


確かに、困難な道だといえる。


けれど、その困難な道を
実現できる方法がある・・・!

蜘蛛(くも)のからまった糸のような
複雑な人間関係と状況、
環境、人生・・。

その、蜘蛛の糸のように
複雑な編み目(あみめ)の中でも、
そこを完璧(かんぺき)にくぐり抜け、
誤(あやま)りなく、
勝利と幸せをつかんでいける秘宝(ひほう)・・!

その秘宝が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。


この創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法が、
どけだけスゴイか・・・!

あらゆるものを幸せに結(むす)びつけ、
あらゆるものを、
あらゆる人々を幸せに向かわせ、
たどり着かせる。
確かに、普通、考えたら、
不可思議(ふかしぎ)としか思えない
幸せの奇跡(きせき)を、
もたらしていけるのが、
この南無妙法蓮華経の仏法です。

にっちもさっちもいかないような人間関係、
またその環境や状況、
それを完璧に調和(ちょうわ)させ
幸せに導(みちび)いていってしまう力(ちから)が、
創価学会の
南無妙法蓮華経の仏法にはある・・!

それは不思議(ふしぎ)だけれど、
なんというか・・、
宇宙の力、生命の力、
宇宙の本源的な法則(ほうそく)に
導(みちび)かれているとしか
表現できないけれども、
そういう、
とてもできない芸当(げいとう)を
やってのけてしまう力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法の信仰には、
ある!ということです。


ゆえに、蓮(はす)が、
泥沼の中から
美しい花を咲かせるように、
人生を勝利していける。
幸せになっていける。


もろもろの悩みも
困難(こんなん)も、
さまざまな人間関係や状況も、
すべて乗り越え、
勝利していける。


そういう生き方が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・

ネコではないけれど、
確かに、人間の世界は大変だ。

そして池田先生が言うように、
『どうして、自分ばかりが・・・』
と思いたくなるようなことも
あるかもしれない。


では、どうしたらいいのか?


結論(けつろん)から言うと、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰は、
あらゆるものを、
あらゆる事象(じしょう)を、
あらゆる人々を、
幸せへと引(ひ)っぱり導(みちび)いてくれる。

それは、自分だけではなく、
家族や自分のかかわる
人々にまで影響(えいきょう)を及(およ)ぼし、
その人たちに
最善(さいぜん)の幸せを、
もたらしてくれる。

時には、悲しいこと、
辛(つら)いこともあるかもしれない。
けれど、時とともに、
自分が、家族が、
最善の方向に進み、
最良(さいりょう)の幸せを
もたらしていたことが、
わかってくる。


それが、実感(じっかん)として言えます。



これほどの力(ちから)があるだろうか・・・?


現実に、これほどの
幸せをもたらす力は、
あるだろうか?


はっきり言って、他にはない・・!!


この、創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)でしか、
この現実の中で、
確実に、
幸せと歓喜(かんき)を
もたらす方法は、ない!!!

それは、
あらゆるものが積(つ)み重なり、
関係し合い、
ひとつひとつの事象(じしょう)からは
わからないかもしれないけれど、
それが重(かさ)なり合い、
素晴らしい錬金術(れんきんじゅつ)のように、
すべてが、微妙(びみょう)に、
しかも完璧(かんぺき)に結(むす)びつき、
結果として、
最高の幸せをもたらしている。

それは、
目には見えない奇跡と言えるかもしれない。

あたかも、蜘蛛の糸のような
複雑な編み目(あみめ)を、
誤(あやま)りなく、みごとに、
完璧(かんぺき)にくぐり抜けていくように、

よくもこんな素晴らしいものが!!
と思うような、
錬金術(れんきんじゅつ)のように、

その人に、
勝利と幸せをもたらしてくれる。

そういう目には見えない
幸せの芸術(げいじゅつ)を
もたらしていく力が、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!
ということです。

そして、その幸せの芸術が、
どれだけ多くの人を、
幸せにしてきたか!!
どれだけ多くの人の
悩みを解決(かいけつ)し、
夢や希望をかなえてきたか!!。

それこそ計り知れない。


その積み重ねが創価学会であり、
世界192カ国に広がる
創価学会の、
平和と幸福のスクラムなんだと、
思う・・・。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
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2015年09月03日

こころの音194



人は花に学ばなければ・・・。


花はいつも

一生懸命(いっしょうけんめい)だからだ。

投げやりに咲いている花はない。

いやいや生きている花はない。

途中(とちゅう)で、へこたれる花はない。

笑うことを忘れた花はない。

過去にとらわれたり、

人のあらを探(さが)したりしている

花はない。



これは、
創価学会インターナショナル会長の、
池田先生が書かれた
詩の中にある一節(いっせつ)ですが、
確かに、そうだと思う。

花は、だから、
きれいなのかもしれない。

なにものでもない、
自分自身を咲(さ)かせることに、
なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく
全力で立ち向かっていく。

その健気(けなげ)な姿に人は、
打たれるのかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の
戸田城聖先生が、
仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、

『自分自身に生ききることだ!』

と言っていた。


あの人がこう、
この人がどうではない。

自分が自分自身に
生ききるかどうか・・・。

簡単なことのようで、
これがなかなかできないのも、
現実だと思う。

そして、ああだ、こうだと
文句(もんく)を言う。
愚痴(ぐち)を言う。
そして、世の中を恨(うら)んでしまう・・。


何かかが間違(まちが)っているんだと思う。
幸せというものの本質(ほんしつ)が
見えなくなっているのかもしれない。

何かが狂(くる)っている。
人間の生命に
なにかの間違った
思想や考えがこびりつき、
花のように、
健気(けなげ)に生きられなくしている。

仏法(ぶっぽう)では、
これを、
『宿業(しゅくごう)』
という。

『宿業(しゅくごう)』とは、
自分の生命に、
深く宿(やど)ってしまっている、
その人を苦しめている
根本原因(こんぽんげんいん)のようなもので、
避(さ)けたくても避けることのできない
苦しみや悲しみ、
自分はどうして、
こういう自分に生まれてしまったのか?
というような、
辛(つら)い境遇(きょうぐう)や環境、
なんで自分がと思うような
過酷(かこく)な病気や事故など、
その人がもって生まれた、
どうしようもないような運命などを
いいます。

その『宿業(しゅくごう)』が、
人を苦しめ、狂わせ、
花のように真っ直(まっす)ぐに生きることを、
妨(さまた)げている。

そして、
その人を不幸にしている。


不幸の根源(こんげん)には、
『宿業』がある!
と言えるかもしれない。


そして、その『宿業(しゅくごう)』が
どこから起こってくるかと言えば、
それは、
間違った思想(しそう)、
間違った宗教から起こってくる。

人は、自分の悩みや不幸について、
その原因(げんいん)に
たどり着くことはないけれど、
人間の不幸は、
間違った宗教によって、起こる!!
と言えます。

自分は、宗教なんかには、
かかわっていないと、
言うかもしれない。

けれど、
自分の先祖(せんぞ)をたどっていけば、
なにかしらの宗教をやっているし、
世の中は、
間違ったデタラメの宗教だらけなので、
日々、その、
間違った宗教に触(ふ)れている
と、言えます。


正月といえば、
初詣(はつもうで)だといって、
さまざまな神社やお寺に行くし、
観光(かんこう)でも
さまざまな神社、仏閣(ぶっかく)に
祈りをささげる。

また、葬式(そうしき)となれば、
ほとんど、それらの
葬式仏教などに
祈りをささげる。

そして、それらの
葬式仏教にしても、
神社信仰にしても、
観光宗教にしても、
デタラメな間違った、
人を不幸にしてしまう宗教です。

それらに、良いことだと思って、
祈りをささげる。


それらの、葬式仏教や神社信仰、
観光宗教に祈りをささげるということは、
デタラメなもの、間違ったものに、
祈りをささげることになり、
自分の生命に、
間違ったもの、デタラメなものが
投影(とうえい)され、
間違ったもの、デタラメなものが、
自分の生命に
植(う)え付けられることになっていく。

間違った宗教、デタラメな宗教が、
自分の生命に植え付けられたならば、
当然(とうぜん)、
自分の生命には、
間違ったもの、デタラメなものが、
宿(やど)っていく・・。

自分の生命に、
間違ったもの、デタラメなものが、
宿ったならば、
それが、悪(あ)しき、
不幸なる宿業(しゅくごう)となり、
その宿業が、
時とともに噴出(ふんしゅつ)して、
その人を苦しめることになる。


また、
過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に、
間違った、人を不幸にする宗教に
かかわってしまったために、
さまざまな不幸なる
宿命(しゅくめい)を持って、
生まれてきたとも
言えます。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・


人間は、
花のように、生きるべきだと、
思います。

けれど、それをできなくしているのが、
『宿業』だと言えます。

そして、その宿業を打ち破(やぶ)る、
決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、
創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、
となえることは、
自分の中から、
花のように生きる力を
復活(ふっかつ)させる。

花のように生きようとする
生命力が復活し、
その人を、
真っ直(まっす)ぐに生きさせる。

太陽が昇(のぼ)れば、
草木についた、
つゆや水滴(すいてき)は、
あっという間に消えてしまうように、
南無妙法蓮華経をとなえることによって、
花のように真っ直ぐに生きることを
妨(さまた)げる宿業が、
打ち破られ、
幸せに向かって、
希望にむかって、
生きていけるようになっていく。


南無妙法蓮華経には、
宿業を打ち破る
大きな大きな力(ちから)がある!
ということです。


南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、
仏法(ぶっぽう)の実践活動である、
創価学会の活動をやっていくことによって、
自身の宿命が転換(てんかん)され、
悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、
夢や希望をかなえて、
幸せを勝ち取っていくことが、
できるようになっていく。


それは、美しい花のように・・・。



『南無妙法蓮華経は
蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』

というけれど、
南無妙法蓮華経をとなえると、
自分の生命が
蘇生(そせい)していく。

真剣に南無妙法蓮華経を
となえることによって、
自分の中から
生命力が湧(わ)き上がり、
勇気が出てきて、
元気と希望がでできて、
その人の生命は、
文字通り、
蘇生(そせい)していく。

その生命の力は、
自分の人生と未来を、
花のように
真っ直ぐに生きていくエネルギーとなって、
その人を動かす。


やがて、
種(たね)から花が咲くように、
その人の人生に、
勝利と幸せの花が
咲いていく。



人は、花のように、生きるべきだ・・!



そして、それを可能にする、
希望と勇気と
どんな困難(こんなん)も打ち破る
無限(むげん)の力が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと、
いうことです。


・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
posted by ココスケ at 19:26| Comment(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする