先日、話しましたが、
漫画界の巨匠(きょしょう)、
手塚治虫氏の作品に、
「ブッダ」というマンガがあります。
その中で、アヒンサーという人物が登場する。
アヒンサーは高貴(こうき)な貴族の身分であったが、
悪い坊主(ぼうず)に、
100人の人を殺すように
催眠術(さいみんじゅつ)をかけられる。
そして毎夜、人を殺し続ける。
最後、100人目に殺そうとした相手が
自分の母で、
その時、我(われ)にかえるが、
すでに遅(おそ)く、
その後、世の中から罪人(ざいにん)として
手配(てはい)される大悪人となっていく。
そしてアヒンサーはすべてを憎み、
ブッダを何度も殺そうとする・・。
しかし、ブッダを殺すことに失敗し、
自分が穴(あな)に落ち、
閉(と)じ込められ、
外に出ることができない。
閉じ込められた穴の空間の空気が
徐々(じょじょ)になくなり、
アヒンサーの死が近づいていく。
アヒンサーは、
死を恐(おそ)れ、苦しむ。
穴の外から声をかけることは可能だったため、
ブッダはアヒンサーに語りかける。
「おまえはいままでに、
何百人も殺したという・・。
だが、一度くらい、
なさけをかけてやったことはないか?」
アヒンサーは答える。
「あ・・・ある。
あかん坊(ぼう)だっ。
ひとり見逃(みのが)してやった!
あんまりかわいかったからからな。
殺さなかったんだ・・・・・」
ブッダは言う。
「もしそうなら、それだけでおまえは、
大きな善(ぜん)をほどこしたのだ。
なぜなら、その子は無事(ぶじ)に育ち、
子孫(しそん)をふやすことができるだろう。」
アヒンサーは反発する。
「それがどうだってんだ・・・!」
ブッダは答える。
「かりにあと百年たって、
その子の子孫が百万人にふえ、
こういうだろう。」
「百年前、ある人間が命を助けてくれた、
そのおかげで、
こんなに栄(さか)えてるんだとね!」
「おまえはあがめられ、
その一族に永久にかたり伝えられる。」
アヒンサーは言う。
「お・・・おれがあがめられ・・・、
じょうだんじゃない!
おれは・・・
何百人も殺した殺人鬼(さんじんき)だぞっ!」
ブッダは言う。
「百人殺すのはよくない。
だがな、
ひとりを生きながらえさせるのは
尊(とうと)い。
百万人になるからな・・・・!」
「おまえはこれから
不思議(ふしぎ)な世界にいく。
そこには宇宙のあらゆる
霊(れい)が集まる。
そこで胸を張(は)って、
こういうがいい。
『おれは赤ん坊を助けたアヒンサーだ!』
とな・・!!」
わかりやすい譬(たと)えだと思う。
確かに「ひとり」を救うことは、
決してひとりには留(とど)まらない。
それは、あらゆるものに影響をもたらし、
環境(かんきょう)や世界、
人々を変えていくことにつながっていく。
確かに、その「ひとり」から
その子孫が何百万人にも
広がることもある。
「ひとり」は「ひとり」であるけれども、
その価値(かち)と可能性は
無限に広がる。
また、すべては
「ひとり」から始まるのであるから、
その「ひとり」をおろそかにしていけば、
未来は開けてこない。
すべては、「ひとり」から始まる。
だから、ひとりを救うこと、
ひとりを幸せにすることには、
計(はか)り知れない、
ものすごい価値がある・・!!
問題は、はたして、
その「ひとり」を
本当に救うことができるのかどうか・・。
その「ひとり」を
本当に幸せにすることが
できるかどうか!だと思う。
その「ひとり」を
本当に幸せにすることができたならば、
大きく言えば、
この世界を、
この環境を、
人類の未来を、
幸せへと
転換(てんかん)することになっていく。
人間における、
人類における、
ありとあらゆる問題も、
この「ひとり」を幸せにすることができたならば、
解決へと向かう。
そう表現しても、いいと思う・・。
そして・・・、
創価学会(そうかがっかい)がやっていることは、
実は、そういうことです・・!!!
ひとりを本当に幸せにしきっていく!
ひとりを根源(こんげん)から変革し、
幸せにする!!
それを現実の上でやってきたのが、
『創価学会』なんです。
だから、創価学会は、
ものすごいことをやってきているんです。
大きく言えば、
人類の幸せ、世界の平和、
それを現実の上で
着実(ちゃくじつ)に、
確実に世界にもたらしてきているのが、
実は『創価学会』だと言えます・・・。
世界の有識者たちは、
そのことがわかっているから、
創価学会に
最大の賞賛(しょうさん)と敬意(けいい)、
期待をたくしているんです。
そして、その「ひとり」を
幸せにしていける、
個々人の宿命(しゅくめい)を
転換(てんかん)していける、
決定的な方法が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)
をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
なにも、創価学会の人たちは、
宗教が好きで、
その仏法を
実践(じっせん)しているわけではない・・・。
ひとりひとりの悩みを解決していける、
ひとりひとりの夢や希望をかなえていける、
そして幸せになっていける、
決定的な方法だから、
この創価学会の
南無妙法蓮華経をとなえる
仏法(ぶっぽう)の信仰をやっているんです。
また、それがそのまま、
世界の平和、
幸せへとつながっていく。
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
創価学会インターナショナル会長の
池田先生が、言っています。
「今、世界は、
紛争(ふんそう)やテロ、
貧困(ひんこん)や格差(かくさ)、
自然災害や地球環境問題など、
幾多(いくた)の深い闇(やみ)に
覆(おおわ)われています。
だからこそ、私たちは、
いやまして、
英知(えいち)の炎(ほのお)を、
一人一人の生命に
赤々(あかあか)とともしていきたいと
思うのであります。
どんなに迂遠(うえん)に見えようとも、
これこそが、
人類の前途(ぜんと)を照らし
晴(は)らしていく
最も確実な道だからであります。」
確かに確信をついていると思います・・・!
一人を良くしていく。
一人の生命に希望を灯(とも)していく。
それは小さなことのようだけれども、
すべては、そこから始まる。
もし、一人を良くすることができなかったら、
世の中を良くすることなど、
到底(とうてい)できない。
世の中を、
おおざっぱな塊(かたまり)として見て、
ああだこうだ言ったところで、
何も変わっていかない。
けれど、一人を良くすることができたならば、
それは地域を、
世界を良くすることに
必ずつながっていく。
しかも、「幸せ」ということから考えたならば、
それは、
おのおのの生命の問題であるだけに、
深く、重い意味がある。
その生命における
「幸せ」を実現していくためには、
やはり・・、どうしても・・、
『ひとりの生命』に
たどり着かなければならない。
すなわち、
ひとりの生命を変えることができなかったら、
現実の上で、
「幸せ」も「平和」も
実現はできない。
その「ひとり」を、
ひとりの生命を、
現実に、
根源(こんげん)から変え、
より良くしていける力(ちから)が、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。
ひとりの人間を、
ひとりの人間の生命を、
本当の意味で変革(へんかく)していける力は、
この創価学会の、
南無妙法蓮華経の仏法しかないと言えます・・。
また、だから創価学会の人たちは、
幸せになっていけるんです・・。
創価学会のやっていることは、
幸せの拡大(かくだい)であり、
平和の拡大です。
それを可能にするために、
またそれを可能にする決定的な方法が、
南無妙法蓮華経をとえなる
仏法(ぶっぽう)の信仰であるがゆえに、
その仏法を実践(じっせん)しているわけです。
もう少し、掘(ほ)り下げて言うと、
この創価学会の仏法は、
単なる理屈(りくつ)ではないということです。
ああだ、こうだ、
理屈で良いことを言うのは、
いくらでもできる。
けれど、いくら、
ひとりを良くする、
ひとりの生命をより良く変革していくといっても、
そこに具体性(ぐたいせい)と
現実性がなかったら、
単なる言葉だけに終わってしまう。
すなわち、
現実に結果がでなかったら、
意味はない。
ひとりひとりに突(つ)きつけられた、
さまざまな悩みを解決できなかったら、
「絵にかいた餅(もち)」
になってしまう。
またひとりひとりの
切実(せつじつ)な夢や希望を
かなえていけなかったら、
なんの意味もない・・。
その悩みの解決、
夢や希望の実現が
現実に可能になるから、
創価学会の人たちは、
この南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法の信仰をやる!ということです。
そこに、創価学会の仏法(ぶっぽう)の
大前提(だいぜんてい)がある!!
現実を変えることができる!
悩みを解決でき、
夢や希望を
現実に実現できる!!!
ということです。
そして、
ひとりひとりの悩みの解決、
夢や希望の実現が、
現実にもたらされたならば、
それは必ず、幸せへとつながり、
家族や地域、
社会と世界を、
幸せに、平和にしていくことに
つながっていきます。
ひとりひとりの幸せと勝利が、
家族の勝利、
地域や社会の勝利、
そして世界の幸せと勝利へと、
連(つら)なっていく。
最初に話したように、
「ひとり」を幸せにすること・・・!
「ひとり」を救っていくことが、
どれだけ大切か・・!!
手塚治虫のマンガ「ブッダ」の中で、
ブッダが言ったように、
「ひとりは、百万人にもなっていく!」
「ひとりから、無限の希望が広がる!!」
その一人を
根源(こんげん)から救っていける、
本当に幸せにしていける、
決定的で唯一(ゆいいつ)の
方法と言っていいのが、
創価学会が実践している、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
2016年08月04日
2016年06月05日
こころの音199
漫画界の巨匠(きょしょう)、
手塚治虫氏の作品に、
「ブッダ」というマンガがあります。
ブッダとは知ってのとおり、
仏教の創始者(そうししゃ)です。
釈迦(しゃか)とも釈尊(しゃくそん)とも呼ばれています。
その「ブッダ」が主人公のマンガなので、
堅苦(かたくる)しいというか、
おもしろくないマンガのように思うかもしれませんが、
それはそれ・・!
さすが手塚治虫で、
いいマンガ、おもしろいマンガが、
みな、そうであるように、
読んでいるうちに、
その世界に引き込まれてしまいます。
やはり魅力(みりょく)は、
巨匠・手塚治虫が創(つく)り出す、
創造的(そうぞうてき)な、
さまざまなキャラクターだと思います。
奴隷(どれい)の身分でありながら、
その身分を隠(かく)し、
将軍の養子(ようし)となり、
のし上がろうとするチャプラ、
そのチャプラも、やがて、
奴隷であることが暴(あば)かれ、
母親と一緒に串刺(くしざ)しにされて、
死んでいく。
自分のこころ(精神)を、
動物に乗り移(うつ)らせて、
動物として行動することのできる、
不思議(ふしぎ)な少年、タッタ。
そのタッタは、
親友であるチャプラと、
親のように自分を育ててくれた、
チャプラの母を殺され、
その王国に対する復讐(ふくしゅう)を誓(ちか)う。
ブッダが国の王子であった時代、
身分をわきまえず、
そのブッダを好きになり、
愛してしまったために、
そのブッダの父であり国王に、
ブッダの結婚の邪魔(じゃま)になると、
両目をつぶされてしまう女性、
ミゲーラ。
契約(けいやく)により、
大蛇(だいじゃ)の魔物の子供となった、
アナンダは、
どんなに刺(さ)されても切られても、
必ず蘇生(そせい)してしまう、
不死身(ふじみ)の身体(からだ)を持つ。
そのアナンダは、
大蛇の魔物(まもの)と共に、
ブッダの命を狙(ねら)う。
しかしアナンダの不死身の能力も、
人を好きになったり愛したりすると、
無くなってしまう・・。
アナンダの運命は・・・。
大悪人、ダイバダッタも登場しますが、
なんとも言えない悪人に仕上(しあ)げています。
けれど、ダイバダッタの、
出生(しゅっせい)から幼少時代の物語を描くことによって、
そのダイバダッタの中にも、
人間性や愛情があることを、
かもしだしています。
読み終わって感じたことは、
この手塚治虫のブッダのマンガの中に出てくる、
数え切れない人々、
理不尽(りふじん)に虐(しいた)げられ、
死んでいった人々。
宿命(しゅくめい)にもがき、
泣きながらも、
精一杯(せいいっぱい)生きようとした人々。
その登場人物たちの生命が、
なぜだか、自分を、
励(はげ)ましてくれているような感覚(かんかく)を、
おぼえました。
ブッダの登場人物たちが、
「ガンバレ!」
「負けるな!」
「あなたの人生は、あなただけのものではない!!」
「ぼくたち、私たちの生命のための
人生でもあるんだ!!」
「だから負けるな!」
「勝つんだ!」
必ず、幸せになるんだ!!」
そう・・、自分を、
励ましてくれているような、
そんな錯覚(さっかく)をおぼえました・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
ブッダの話し、
言い換(か)えれば、
釈迦(しゃか)、釈尊(しゃくそん)の話しは、
創価学会でも、
よく、引用(いんよう)されます。
創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長である、
池田先生が、言っています。
『御書(ごしょ)に、
「教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を
うごかし奉(たてまつ)れば、
ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき
・さわがぬ水やあるべき・・」
と仰(おお)せの通り、
ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、
一切(いっさい)を動かしていく。』
ちなみに、御書(ごしょ)とは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書かれた、
論文や手紙をすべて集めたものです。
また、ご本尊とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、
あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、
あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることをあらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。
ここで、まず引っかかるのは、
当然(とうぜん)これは、
創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法(ぶっぽう)の信仰のことを
言っていますが、
創価学会の信仰と、
『釈尊(しゃくそん)』は
関係あるのか??ということです。
さきほど話しましたが、
釈尊とは、ブッダとも釈迦(しゃか)とも言われる、
仏教の創始者です。
日本のさまざまな仏教の大元(おおもと)は、
この釈迦(しゃか/釈尊)から来ている
と言えます。
ただし、現代の日本の仏教は、
釈迦(しゃか)の仏法(ぶっぽう)とは、
かけはなれたもので、
単なる形だけです。
釈尊(しゃくそん)の教えのかけらもない!
と言ってもいいでしょう。
だいたい、釈尊は、
『坊主は葬式(そうしき)に出てはいけない!
葬式というものは親しい知人や家族でやるものだ。
そんな暇(ひま)があったら、
今、苦しんでいる人のもとに行ってあげなさい。』
と言っているので、
坊主が葬式でお経(きょう)をあげるのは、
仏教でもなんでもない。
ただの金儲(かねもう)けの
エセ宗教だと言えます。
形だけ真似(まね)て、
お金儲けに利用しているだけですから、
かえって害(がい)になり、
そんな害になるものを人々に信じ込ませていれば、
その人々に害毒(がいどく)が伝わり、
その人たちを不幸にしてしまう!
ということです。
どういうことかというと、
間違(まちが)ったデタラメの宗教に
祈るということは、
その間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生を
ささげることになります。
間違ったデタラメの宗教に
自分の生命と人生をささげていけば、
当然(とうぜん)、
自分の生命と人生は、
間違ったデタラメなものになっていく。
自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったならば、
その結果として、
さまざまな不幸がもたらされてしまう!
ということです。
不幸の根源(こんげん)には、
形骸化(けいがいか)した仏教にかぎらず、
神社信仰や観光宗教など、
それらの間違った宗教がある!
ということです。
話しを戻(もど)しますが、
釈尊は、仏教の創始者です。
そして、釈尊が、
何を伝えようとしたか?
というと、
それは、
『生命の法則(ほうそく)』であり
『宇宙の法則』です。
簡単(かんたん)に言えば、
それは、
『幸せになるための法則』です。
それを、釈尊は、伝えようとしました。
そして、その幸せになるための
究極(きゅうきょく)の法則が
こめられたものが、
釈尊の『法華経(ほけきょう)』です。
だから、釈尊の法華経には、
その生命における、
あるいは宇宙における、
『幸せになるための法則』
が込(こ)められています。
だったら、
その釈尊の法華経(ほけきょう)を
やればいいじゃないか・・!
と思うかもしれませんが、
それも違(ちが)います。
法華経というと、
釈尊の法華経を思い浮(う)かべますが、
法華経というのは、
さっきも言ったように、
幸せになるための法則です。
そして、それは
時代時代によって、
表現の仕方(しかた)が違ってきます。
釈尊の時代であれば、
その、釈尊の法華経をやれば、
幸せになれましたが、
現代では、なれません。
この現代に、
釈尊の法華経を
いくら、やったとしたも、
幸せにはなれないし、
何の効力(こうりょく)もありません。
これは、釈尊自身が
言っていることですが、
釈尊が亡(な)くなってから
2000年以上経(た)った、
この現代という、
思想・人心が乱(みだ)れた時代では、
釈尊の法華経は、
返って害(がい)になり、
人々を不幸にする
原因(げんいん)にしかなりません。
だから、現代の日本のさまざまな仏教は、
良く見積(みつ)もっても、
その釈尊の仏教の域(いき)をでていないし、
はっきり言えば、
釈尊の仏教を適当(てきとう)に変え、
めちゃくちゃにしたような宗教ですから、
なんの効力もなく、
幸せにもなれません。
返(かえ)って、でたらめなメチャクチャな宗教ですから、
そのメチャクチャの当然の結果として、
害になり、
人々を不幸にしてしまう!
ということです。
では、釈尊が、
本当に伝えようとした
『幸せの法則』とは何なのか?
さきほど、法華経といっても、
時代時代によって、
表現の仕方(しかた)が違うと言いましたが、
今生きている人々を、
現実に幸せにしていける
『現代の法華経(ほけきょう)』とは何なのか??
ということになっていきます。
実は、
その答えが秘(ひ)められているのが、
釈尊の法華経だと言えます。
その釈尊の意図(いと)と
隠(かく)れたメッセージをくみとり、
唯一(ゆいいつ)正しく理解し、
その現代の人々が幸せになっていける
『真実の法華経』を発見し広めたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。
そして、現代の人々が幸せになっていける、
『真実の幸せの法則』
『生命の法則』
『宇宙の法則』が、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです。
だから、『南無妙法蓮華経』とは、
釈尊が本当に伝えたかったものなんです。
そして、『南無妙法蓮華経』が、
今生きている人々が
真(しん)に幸せになっていける、
『現代の法華経』なんです。
だから、今、現実に効力(こうりょく)のある、
悩みを解決していける、
夢や希望をかなえていける、
力(ちから)ある幸せの法則が
『南無妙法蓮華経』であり、
それが、『現代の法華経』です。
ですから、創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる信仰は、
釈尊が真に伝えたかった法華経であり、
人々を幸せにしていける、
仏法(ぶっぽう)の
究極(きゅうきょく)の真髄(しんずい)なんです。
だから、創価学会と釈尊は、
深く密接(みっせつ)な関係があり、
釈尊が望み、伝え、
実現したかったものが、
創価学会の中にある!!!
ということです。
釈尊が望んだもの、
釈尊が望み実現したかったものが、
まさしく、
創価学会によって実現されている!!
ということです。
だから、
「『教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を
うごかし奉(たてまつ)れば、
ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき
・さわがぬ水やあるべき・・』
と仰(おお)せの通り、
ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、
一切(いっさい)を動かしていく。」
と話したように、
創価学会のご本尊への必死の祈りは、
そのまま『釈尊』に通じていく。
なぜなら、
創価学会が実践している
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
「釈尊の望み」、
「願い」そのものであり、
『南無妙法蓮華経』が
釈尊が伝えたかったことだからです。
ゆえに、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、
釈尊のいう宇宙の法則、
生命の法則、幸せの法則を
実行することになり、
それはいわば、
釈尊自身をうごかすような
大きな結果を生み、
その結果、
悩みを解決できたり、
夢や希望をかなえていけたり、
さまざまな困難(こんなん)も乗り越(こ)えて、
幸せになっていけるわけです。
それが、創価学会の祈りなんです。
ゆえに、池田先生が言うように、
『教主釈尊を動かすことができれば、
ゆるがぬ草木はない!
さわがぬ水はない!』
そして、祈りをかなえ、
幸せになっていける!!
それが、
釈尊が本当に伝えたかった
宇宙と生命の幸せの法則であり、
究極の力(ちから)である、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと
いうことです・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
手塚治虫氏の作品に、
「ブッダ」というマンガがあります。
ブッダとは知ってのとおり、
仏教の創始者(そうししゃ)です。
釈迦(しゃか)とも釈尊(しゃくそん)とも呼ばれています。
その「ブッダ」が主人公のマンガなので、
堅苦(かたくる)しいというか、
おもしろくないマンガのように思うかもしれませんが、
それはそれ・・!
さすが手塚治虫で、
いいマンガ、おもしろいマンガが、
みな、そうであるように、
読んでいるうちに、
その世界に引き込まれてしまいます。
やはり魅力(みりょく)は、
巨匠・手塚治虫が創(つく)り出す、
創造的(そうぞうてき)な、
さまざまなキャラクターだと思います。
奴隷(どれい)の身分でありながら、
その身分を隠(かく)し、
将軍の養子(ようし)となり、
のし上がろうとするチャプラ、
そのチャプラも、やがて、
奴隷であることが暴(あば)かれ、
母親と一緒に串刺(くしざ)しにされて、
死んでいく。
自分のこころ(精神)を、
動物に乗り移(うつ)らせて、
動物として行動することのできる、
不思議(ふしぎ)な少年、タッタ。
そのタッタは、
親友であるチャプラと、
親のように自分を育ててくれた、
チャプラの母を殺され、
その王国に対する復讐(ふくしゅう)を誓(ちか)う。
ブッダが国の王子であった時代、
身分をわきまえず、
そのブッダを好きになり、
愛してしまったために、
そのブッダの父であり国王に、
ブッダの結婚の邪魔(じゃま)になると、
両目をつぶされてしまう女性、
ミゲーラ。
契約(けいやく)により、
大蛇(だいじゃ)の魔物の子供となった、
アナンダは、
どんなに刺(さ)されても切られても、
必ず蘇生(そせい)してしまう、
不死身(ふじみ)の身体(からだ)を持つ。
そのアナンダは、
大蛇の魔物(まもの)と共に、
ブッダの命を狙(ねら)う。
しかしアナンダの不死身の能力も、
人を好きになったり愛したりすると、
無くなってしまう・・。
アナンダの運命は・・・。
大悪人、ダイバダッタも登場しますが、
なんとも言えない悪人に仕上(しあ)げています。
けれど、ダイバダッタの、
出生(しゅっせい)から幼少時代の物語を描くことによって、
そのダイバダッタの中にも、
人間性や愛情があることを、
かもしだしています。
読み終わって感じたことは、
この手塚治虫のブッダのマンガの中に出てくる、
数え切れない人々、
理不尽(りふじん)に虐(しいた)げられ、
死んでいった人々。
宿命(しゅくめい)にもがき、
泣きながらも、
精一杯(せいいっぱい)生きようとした人々。
その登場人物たちの生命が、
なぜだか、自分を、
励(はげ)ましてくれているような感覚(かんかく)を、
おぼえました。
ブッダの登場人物たちが、
「ガンバレ!」
「負けるな!」
「あなたの人生は、あなただけのものではない!!」
「ぼくたち、私たちの生命のための
人生でもあるんだ!!」
「だから負けるな!」
「勝つんだ!」
必ず、幸せになるんだ!!」
そう・・、自分を、
励ましてくれているような、
そんな錯覚(さっかく)をおぼえました・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
ブッダの話し、
言い換(か)えれば、
釈迦(しゃか)、釈尊(しゃくそん)の話しは、
創価学会でも、
よく、引用(いんよう)されます。
創価学会(そうかがっかい)インターナショナル会長である、
池田先生が、言っています。
『御書(ごしょ)に、
「教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を
うごかし奉(たてまつ)れば、
ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき
・さわがぬ水やあるべき・・」
と仰(おお)せの通り、
ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、
一切(いっさい)を動かしていく。』
ちなみに、御書(ごしょ)とは、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書かれた、
論文や手紙をすべて集めたものです。
また、ご本尊とは、
仏(ほとけ)の生命そのものを、
あらわしたものであり、
自分の生命そのものを、
あらわしたものでもあり、
その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、
自分自身の中にあることをあらわしたものが、
ご本尊(ほんぞん)です。
ここで、まず引っかかるのは、
当然(とうぜん)これは、
創価学会の
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を
となえる仏法(ぶっぽう)の信仰のことを
言っていますが、
創価学会の信仰と、
『釈尊(しゃくそん)』は
関係あるのか??ということです。
さきほど話しましたが、
釈尊とは、ブッダとも釈迦(しゃか)とも言われる、
仏教の創始者です。
日本のさまざまな仏教の大元(おおもと)は、
この釈迦(しゃか/釈尊)から来ている
と言えます。
ただし、現代の日本の仏教は、
釈迦(しゃか)の仏法(ぶっぽう)とは、
かけはなれたもので、
単なる形だけです。
釈尊(しゃくそん)の教えのかけらもない!
と言ってもいいでしょう。
だいたい、釈尊は、
『坊主は葬式(そうしき)に出てはいけない!
葬式というものは親しい知人や家族でやるものだ。
そんな暇(ひま)があったら、
今、苦しんでいる人のもとに行ってあげなさい。』
と言っているので、
坊主が葬式でお経(きょう)をあげるのは、
仏教でもなんでもない。
ただの金儲(かねもう)けの
エセ宗教だと言えます。
形だけ真似(まね)て、
お金儲けに利用しているだけですから、
かえって害(がい)になり、
そんな害になるものを人々に信じ込ませていれば、
その人々に害毒(がいどく)が伝わり、
その人たちを不幸にしてしまう!
ということです。
どういうことかというと、
間違(まちが)ったデタラメの宗教に
祈るということは、
その間違ったデタラメの宗教に、
自分の生命と人生を
ささげることになります。
間違ったデタラメの宗教に
自分の生命と人生をささげていけば、
当然(とうぜん)、
自分の生命と人生は、
間違ったデタラメなものになっていく。
自分の生命と人生が、
間違ったデタラメのものになっていったならば、
その結果として、
さまざまな不幸がもたらされてしまう!
ということです。
不幸の根源(こんげん)には、
形骸化(けいがいか)した仏教にかぎらず、
神社信仰や観光宗教など、
それらの間違った宗教がある!
ということです。
話しを戻(もど)しますが、
釈尊は、仏教の創始者です。
そして、釈尊が、
何を伝えようとしたか?
というと、
それは、
『生命の法則(ほうそく)』であり
『宇宙の法則』です。
簡単(かんたん)に言えば、
それは、
『幸せになるための法則』です。
それを、釈尊は、伝えようとしました。
そして、その幸せになるための
究極(きゅうきょく)の法則が
こめられたものが、
釈尊の『法華経(ほけきょう)』です。
だから、釈尊の法華経には、
その生命における、
あるいは宇宙における、
『幸せになるための法則』
が込(こ)められています。
だったら、
その釈尊の法華経(ほけきょう)を
やればいいじゃないか・・!
と思うかもしれませんが、
それも違(ちが)います。
法華経というと、
釈尊の法華経を思い浮(う)かべますが、
法華経というのは、
さっきも言ったように、
幸せになるための法則です。
そして、それは
時代時代によって、
表現の仕方(しかた)が違ってきます。
釈尊の時代であれば、
その、釈尊の法華経をやれば、
幸せになれましたが、
現代では、なれません。
この現代に、
釈尊の法華経を
いくら、やったとしたも、
幸せにはなれないし、
何の効力(こうりょく)もありません。
これは、釈尊自身が
言っていることですが、
釈尊が亡(な)くなってから
2000年以上経(た)った、
この現代という、
思想・人心が乱(みだ)れた時代では、
釈尊の法華経は、
返って害(がい)になり、
人々を不幸にする
原因(げんいん)にしかなりません。
だから、現代の日本のさまざまな仏教は、
良く見積(みつ)もっても、
その釈尊の仏教の域(いき)をでていないし、
はっきり言えば、
釈尊の仏教を適当(てきとう)に変え、
めちゃくちゃにしたような宗教ですから、
なんの効力もなく、
幸せにもなれません。
返(かえ)って、でたらめなメチャクチャな宗教ですから、
そのメチャクチャの当然の結果として、
害になり、
人々を不幸にしてしまう!
ということです。
では、釈尊が、
本当に伝えようとした
『幸せの法則』とは何なのか?
さきほど、法華経といっても、
時代時代によって、
表現の仕方(しかた)が違うと言いましたが、
今生きている人々を、
現実に幸せにしていける
『現代の法華経(ほけきょう)』とは何なのか??
ということになっていきます。
実は、
その答えが秘(ひ)められているのが、
釈尊の法華経だと言えます。
その釈尊の意図(いと)と
隠(かく)れたメッセージをくみとり、
唯一(ゆいいつ)正しく理解し、
その現代の人々が幸せになっていける
『真実の法華経』を発見し広めたのが、
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。
そして、現代の人々が幸せになっていける、
『真実の幸せの法則』
『生命の法則』
『宇宙の法則』が、
『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』
なんです。
だから、『南無妙法蓮華経』とは、
釈尊が本当に伝えたかったものなんです。
そして、『南無妙法蓮華経』が、
今生きている人々が
真(しん)に幸せになっていける、
『現代の法華経』なんです。
だから、今、現実に効力(こうりょく)のある、
悩みを解決していける、
夢や希望をかなえていける、
力(ちから)ある幸せの法則が
『南無妙法蓮華経』であり、
それが、『現代の法華経』です。
ですから、創価学会が実践(じっせん)している、
南無妙法蓮華経をとなえる信仰は、
釈尊が真に伝えたかった法華経であり、
人々を幸せにしていける、
仏法(ぶっぽう)の
究極(きゅうきょく)の真髄(しんずい)なんです。
だから、創価学会と釈尊は、
深く密接(みっせつ)な関係があり、
釈尊が望み、伝え、
実現したかったものが、
創価学会の中にある!!!
ということです。
釈尊が望んだもの、
釈尊が望み実現したかったものが、
まさしく、
創価学会によって実現されている!!
ということです。
だから、
「『教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)を
うごかし奉(たてまつ)れば、
ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき
・さわがぬ水やあるべき・・』
と仰(おお)せの通り、
ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、
一切(いっさい)を動かしていく。」
と話したように、
創価学会のご本尊への必死の祈りは、
そのまま『釈尊』に通じていく。
なぜなら、
創価学会が実践している
南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、
「釈尊の望み」、
「願い」そのものであり、
『南無妙法蓮華経』が
釈尊が伝えたかったことだからです。
ゆえに、創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、
釈尊のいう宇宙の法則、
生命の法則、幸せの法則を
実行することになり、
それはいわば、
釈尊自身をうごかすような
大きな結果を生み、
その結果、
悩みを解決できたり、
夢や希望をかなえていけたり、
さまざまな困難(こんなん)も乗り越(こ)えて、
幸せになっていけるわけです。
それが、創価学会の祈りなんです。
ゆえに、池田先生が言うように、
『教主釈尊を動かすことができれば、
ゆるがぬ草木はない!
さわがぬ水はない!』
そして、祈りをかなえ、
幸せになっていける!!
それが、
釈尊が本当に伝えたかった
宇宙と生命の幸せの法則であり、
究極の力(ちから)である、
創価学会の、
南無妙法蓮華経をとなえる、
仏法(ぶっぽう)の信仰だと
いうことです・・・!
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
2016年03月13日
こころの音198
1973年にノーベル平和賞を受賞し、
アメリカの国家安全保障担当補佐官や
国務長官を務めた、
ヘンリー・A・キッシンジャー博士は、
創価学会インターナショナル会長である
池田先生と、
8度にわたり、
対談している。
池田先生は、
キッシンジャー博士に質問している。
「人物評価(ひょうか)について、
どのような基準(きじゅん)を
お持ちでしょうか。」
アメリカの国務長官を務(つと)め、
世界各国のリーダーと
丁々発止(ちょうちょうはっし)の交渉(こうしょう)を
繰(く)り広げてきた、
世界を動かす立役者(たてやくしゃ)である。
答えは明快(めいかい)だった。
「私の変わらざる信念は、
交渉の相手を理解することが
きわめて重要(じゅうよう)だということです。
相手の知性ではなく
人格(じんかく)です。
知性の程度(ていど)を確かめることは
ごく簡単(かんたん)です。
しかし人生における
困難(こんなん)な問題はすべて、
賛否両論(さんぴりょうろん)が
知的レベルで真(ま)っ二つに
分かれた場合に起きるのです。
ですから、
いくつかの可能性の中から
一つを選択(せんたく)する場合に
『人格』がカギとなるのです。」
池田SGI(創価学会インターナショナル)会長と
キッシンジャー博士との出会いは、
小雪が舞(ま)うアメリカの
首都ワシントンだった。
国務長官の博士が、
国務省の執務室(しつむしつ)で
池田SGI会長を待っていた。
1975年1月13日である。
池田SGI会長が、73年1月に、
ベトナム戦争終結(しゅうけつ)を呼びかける
ニクソン大統領宛(だいとうりょうあて)の書簡(しょかん)を、
当時、大統領補佐官だった
キッシンジャー博士に託(たく)して以来、
博士と池田会長との
手紙のやりとりが続いていた。
訪米の際には立ち寄(よ)ってほしいとの、
博士からの歓迎の意が示されたことを
受けての訪問となったのである。
あいさつ、会談風景の撮影(さつえい)が終わると、
通訳(つうやく)一人だけを介(かい)して、
二人は向き合った。
キッシンジャー博士は、たずねた。
「率直(そっちょく)にお伺(うかが)いしますが、
あなたたちは、
世界のどこの勢力(せいりょく)を
支持(しじ)しようとお考えですか。」
博士が直球を投げてきた。
まさに、知識ではなく人格(じんかく)、
すなわち、どんな思想、
信念(しんねん)で動いているかを
見きわめようとする、
短いが鋭(するど)い問いである。
もちろん、池田SGI会長が、
前年にソ連、中国を相次(あいつ)いで訪問し、
コスイギン首相、周恩来(しゅうおんらい)総理らと
会った事実が前提(ぜんてい)にある。
即座(そくざ)にSGI会長が答えた。
「私たちは、
東西両陣営(りょうじんえい)のいずれかに
くみするものではありません。
中国に味方(みかた)するわけでも、
ソ連に味方するわけでも、
アメリカに味方するわけでもありません。
私たちは、平和勢力(せいりょく)です。
人類に味方します。」
キッシンジャー博士の顔に
微笑(びしょう)が浮(う)かんだ。
会見を終える時、
キッシンジャー博士は言った。
「また、友人としてお会いしたい。
これからも連携(れんけい)を取り合いましょう。」
「中国に味方(みかた)するわけでも、
ソ連に味方するわけでも、
アメリカに味方するわけでもない。
私たちは、平和勢力(せいりょく)です。
人類に味方します。」
人は、このことを、わかろうとしない。
なにか裏があるのではないか・・?
と邪(よこしま)なことを考えてしまう。
そして、創価学会に対して、
どうしようもないような
下劣(げれつ)なデマを流したりしてきた。
けれど、もしそれらの
下劣(げれつ)なデマが正しければ、
創価学会(そうかがっかい)は、
これほど世界に発展することはなかったでしょう。
また、創価学会の人たちが
喜々(きき)として、
創価学会の活動に取り組むこともないだろうし、
創価学会の信心を
真面目に実践(じっせん)することも
なかったでしょう。
それに、創価学会の信心と活動を
実践することによって、
創価学会の人たちが、
悩みを解決したり、
夢や希望を実現したりして、
幸せになっていくこともなかったでしょう。
ところが実際は、
創価学会の人たちは、
その創価学会の信心と活動によって
悩みを解決し、
夢や希望を実現して、
大いなる幸せをつかんでいる。
それは、創価学会が
正しい証拠(しょうこ)であり、
世間のデマが間違(まちが)いであることの
証明になります。
そう考えていった時、
なにか裏があるのではないか・・?と、
創価学会に対して、
邪(よこしま)なデマを流している連中のほうが、
よっぽど、何か裏があり、
「邪(よこしま)」なことを企(たくら)んでいる
と考えるのが、
妥当(だとう)なはずです。
キッシンジャー博士の話しに戻ると、
博士は、米中接近(せっきん)、
米ソの緊張緩和(きんちょうかんわ)、
ベトナム戦争からの撤退(てったい)、
中東和平交渉(わへいこうしょう)など、
まさに、『歴史を書き換(か)えた』
その実績は、
枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
博士は、池田SGI会長に語った。
「どんな偉大(いだい)な事業も、
はじめは、すべて「夢」にすぎなかったのです。
だから必要なのは勇気です。
前人未到(ぜんじんみとう)の道をひとりゆくには、
勇気が必要なのです。」
それを地(じ)でいったのが、
71年7月、
極秘裏(ごくひり)に訪中して、
中国の周総理と会見し、
ニクソン大統領の訪中、
米中国交正常化に道筋(みちすじ)を
付けたことである。
国務長官を退(しりぞ)いた後も、
博士は、
米外交に影響力(えいきょうりょく)を持つ
重鎮(じゅうちん)として、
注目を集め続ける。
2007年に発表した、
核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)を求める
共同提言(ていげん)は、
核抑止(よくし)戦略の当事者だった
人物の発言として
重大な意義(いぎ)をもつ。
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
博士と池田SGI会長との8度目の会見は、
96年6月17日。
同月、SGI会長がキューバで
カストロ国家評議会長と会う予定を知ると、
ニューヨークの宿舎(しゅくしゃ)に
滞在中(たいざいちゅう)の池田会長を、
博士が訪(たず)ねてきた。
同年2月、キューバが
米民間機を撃墜(げきつい)し、
両国関係は悪化していた。
博士は関係の改善(かいぜん)を願い、
池田SGI会長のキューバ訪問に
強い期待を寄(よ)せていた。
そしてSGI会長は、
カストロ議長と会見した際、
キッシンジャー博士の真情(しんじょう)を
伝えたのである。
博士とSGI会長との初会見から40年。
創価学会は、世界192カ国に広がり、
博士と語り合った世界平和の道は、
大きく広がったと言える。
2015年には、米国とキューバの
国交正常化も実現した。
聞いた話しですが、
キッシンジャー博士は、
池田SGI会長と会見した後、
池田会長を評(ひょう)して、
こう、言ったそうです・・。
「グレイト・パーソナル(偉大なる個性・人格)」
・・と。
人格を最も重要視(じゅうようし)する
博士の言葉だけに、
重みがある・・。
「グレイト・パーソナル・・!!」
キッシンジャー博士の
池田SGI会長に対する期待と
その対応を見るとき、
その言葉はまさに真実であり
本当なんだ!と、
心から思う・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
アメリカの国家安全保障担当補佐官や
国務長官を務めた、
ヘンリー・A・キッシンジャー博士は、
創価学会インターナショナル会長である
池田先生と、
8度にわたり、
対談している。
池田先生は、
キッシンジャー博士に質問している。
「人物評価(ひょうか)について、
どのような基準(きじゅん)を
お持ちでしょうか。」
アメリカの国務長官を務(つと)め、
世界各国のリーダーと
丁々発止(ちょうちょうはっし)の交渉(こうしょう)を
繰(く)り広げてきた、
世界を動かす立役者(たてやくしゃ)である。
答えは明快(めいかい)だった。
「私の変わらざる信念は、
交渉の相手を理解することが
きわめて重要(じゅうよう)だということです。
相手の知性ではなく
人格(じんかく)です。
知性の程度(ていど)を確かめることは
ごく簡単(かんたん)です。
しかし人生における
困難(こんなん)な問題はすべて、
賛否両論(さんぴりょうろん)が
知的レベルで真(ま)っ二つに
分かれた場合に起きるのです。
ですから、
いくつかの可能性の中から
一つを選択(せんたく)する場合に
『人格』がカギとなるのです。」
池田SGI(創価学会インターナショナル)会長と
キッシンジャー博士との出会いは、
小雪が舞(ま)うアメリカの
首都ワシントンだった。
国務長官の博士が、
国務省の執務室(しつむしつ)で
池田SGI会長を待っていた。
1975年1月13日である。
池田SGI会長が、73年1月に、
ベトナム戦争終結(しゅうけつ)を呼びかける
ニクソン大統領宛(だいとうりょうあて)の書簡(しょかん)を、
当時、大統領補佐官だった
キッシンジャー博士に託(たく)して以来、
博士と池田会長との
手紙のやりとりが続いていた。
訪米の際には立ち寄(よ)ってほしいとの、
博士からの歓迎の意が示されたことを
受けての訪問となったのである。
あいさつ、会談風景の撮影(さつえい)が終わると、
通訳(つうやく)一人だけを介(かい)して、
二人は向き合った。
キッシンジャー博士は、たずねた。
「率直(そっちょく)にお伺(うかが)いしますが、
あなたたちは、
世界のどこの勢力(せいりょく)を
支持(しじ)しようとお考えですか。」
博士が直球を投げてきた。
まさに、知識ではなく人格(じんかく)、
すなわち、どんな思想、
信念(しんねん)で動いているかを
見きわめようとする、
短いが鋭(するど)い問いである。
もちろん、池田SGI会長が、
前年にソ連、中国を相次(あいつ)いで訪問し、
コスイギン首相、周恩来(しゅうおんらい)総理らと
会った事実が前提(ぜんてい)にある。
即座(そくざ)にSGI会長が答えた。
「私たちは、
東西両陣営(りょうじんえい)のいずれかに
くみするものではありません。
中国に味方(みかた)するわけでも、
ソ連に味方するわけでも、
アメリカに味方するわけでもありません。
私たちは、平和勢力(せいりょく)です。
人類に味方します。」
キッシンジャー博士の顔に
微笑(びしょう)が浮(う)かんだ。
会見を終える時、
キッシンジャー博士は言った。
「また、友人としてお会いしたい。
これからも連携(れんけい)を取り合いましょう。」
「中国に味方(みかた)するわけでも、
ソ連に味方するわけでも、
アメリカに味方するわけでもない。
私たちは、平和勢力(せいりょく)です。
人類に味方します。」
人は、このことを、わかろうとしない。
なにか裏があるのではないか・・?
と邪(よこしま)なことを考えてしまう。
そして、創価学会に対して、
どうしようもないような
下劣(げれつ)なデマを流したりしてきた。
けれど、もしそれらの
下劣(げれつ)なデマが正しければ、
創価学会(そうかがっかい)は、
これほど世界に発展することはなかったでしょう。
また、創価学会の人たちが
喜々(きき)として、
創価学会の活動に取り組むこともないだろうし、
創価学会の信心を
真面目に実践(じっせん)することも
なかったでしょう。
それに、創価学会の信心と活動を
実践することによって、
創価学会の人たちが、
悩みを解決したり、
夢や希望を実現したりして、
幸せになっていくこともなかったでしょう。
ところが実際は、
創価学会の人たちは、
その創価学会の信心と活動によって
悩みを解決し、
夢や希望を実現して、
大いなる幸せをつかんでいる。
それは、創価学会が
正しい証拠(しょうこ)であり、
世間のデマが間違(まちが)いであることの
証明になります。
そう考えていった時、
なにか裏があるのではないか・・?と、
創価学会に対して、
邪(よこしま)なデマを流している連中のほうが、
よっぽど、何か裏があり、
「邪(よこしま)」なことを企(たくら)んでいる
と考えるのが、
妥当(だとう)なはずです。
キッシンジャー博士の話しに戻ると、
博士は、米中接近(せっきん)、
米ソの緊張緩和(きんちょうかんわ)、
ベトナム戦争からの撤退(てったい)、
中東和平交渉(わへいこうしょう)など、
まさに、『歴史を書き換(か)えた』
その実績は、
枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
博士は、池田SGI会長に語った。
「どんな偉大(いだい)な事業も、
はじめは、すべて「夢」にすぎなかったのです。
だから必要なのは勇気です。
前人未到(ぜんじんみとう)の道をひとりゆくには、
勇気が必要なのです。」
それを地(じ)でいったのが、
71年7月、
極秘裏(ごくひり)に訪中して、
中国の周総理と会見し、
ニクソン大統領の訪中、
米中国交正常化に道筋(みちすじ)を
付けたことである。
国務長官を退(しりぞ)いた後も、
博士は、
米外交に影響力(えいきょうりょく)を持つ
重鎮(じゅうちん)として、
注目を集め続ける。
2007年に発表した、
核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)を求める
共同提言(ていげん)は、
核抑止(よくし)戦略の当事者だった
人物の発言として
重大な意義(いぎ)をもつ。
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・
博士と池田SGI会長との8度目の会見は、
96年6月17日。
同月、SGI会長がキューバで
カストロ国家評議会長と会う予定を知ると、
ニューヨークの宿舎(しゅくしゃ)に
滞在中(たいざいちゅう)の池田会長を、
博士が訪(たず)ねてきた。
同年2月、キューバが
米民間機を撃墜(げきつい)し、
両国関係は悪化していた。
博士は関係の改善(かいぜん)を願い、
池田SGI会長のキューバ訪問に
強い期待を寄(よ)せていた。
そしてSGI会長は、
カストロ議長と会見した際、
キッシンジャー博士の真情(しんじょう)を
伝えたのである。
博士とSGI会長との初会見から40年。
創価学会は、世界192カ国に広がり、
博士と語り合った世界平和の道は、
大きく広がったと言える。
2015年には、米国とキューバの
国交正常化も実現した。
聞いた話しですが、
キッシンジャー博士は、
池田SGI会長と会見した後、
池田会長を評(ひょう)して、
こう、言ったそうです・・。
「グレイト・パーソナル(偉大なる個性・人格)」
・・と。
人格を最も重要視(じゅうようし)する
博士の言葉だけに、
重みがある・・。
「グレイト・パーソナル・・!!」
キッシンジャー博士の
池田SGI会長に対する期待と
その対応を見るとき、
その言葉はまさに真実であり
本当なんだ!と、
心から思う・・・。
・・・・・・・・・・・・・こころ(音がないから、音を探して)・・・・・・・・・・・・・